「悲しき熱帯」菊地成孔とpepe tormento azucarar@九段会館

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 スペイン語で「伊達男/拷問/甘く、砂糖漬けの」を意味するペペ・トルメント・アスカラールは、菊地成孔が、自己のセカンド・ソロアルバム「南米のエリザベス・テーラー」の世界観をシアター・アートとして実演する為に組織された12人編成のスモール・オーケストラである。


 文筆家、明晰な分析家としても知られ、自己言及、特に自作のコピーライティング能力に長けた菊地は、ペペ・トルメント・アスカラール名義でのアルバムである「野生の思考」の帯コピーに「現代音楽とラテンラウンジを繋ぐストレンジ・オーケストラ、ペペ・トルメント・アスカラールの、<熱病>を巡る爛れた交響楽」という秀逸なコピーを記した。これはある意味、作品そのものを超えた完成度を持ったコピーであろう。


 巷間「疾走するカリスマ」であるとか「饒舌な狂気」であるとかいった風に、ミスティフィカシオン(壊乱性)を指摘される事が多い菊地の作品世界だが、その実、非常に明晰な一貫性を持っている。それは「幼児の視点(幼児期の記憶)と大人の視点(現在の状況)を、エロチカという結節点によって(正に菊地が、本公演とアルバム名に召還した、レヴィ・ストロースの用語を使うならば)ブリコラージュする」といった物だ。観る者の視線が幼児性に集中するならば菊地は4歳児となって「可愛がられ」、観る者の視線が現在の状況に集中するならば菊地はエッジなクリティックと成って「尊敬される」という二極を生きている。


 菊地のソロ第一作「デギュスタシオン・ア・ジャズ」は、スタンリー・キューブリックやトーマス・ピンチョンの世界に描かれる未来図のような、恐ろしい程にスタイリッシュでモダン・アート的な「未来の姿」を描いた物で、これは菊地がインスパイアを受けた、フェラン・アドリアの創出による「エル・ブリ」の「デギュスタシオン・コース」という革命的な料理自体が、そのままキューブリックの映画に出てきそうな物だった事によるが、ここではまだ菊地は、前述の明晰な立場を表明し切ってはいない。


 菊地の「幼児性(幼児期の記憶)」は、03年に出版された処女エッセイ集「スペインの宇宙食」に於いては、著作全体を覆う基調的なトーンとなっているが、それがいよいよ音楽作品の中で剥き出しに成ったのが「南米のエリザベス・テーラー」である。これは、新宿の歌舞伎町という、菊地の「幼児期の記憶」を永遠に定着させた街に住み始めてからの事だ。


 「南米のエリザベス・テーラー」に関して、菊地は、その膨大とも言うべき発言の中で繰り返し「エキゾチズムとポスト・コロニアリズムを同時に扱う」と述べている。これは極めて図式的な区分で、エキゾチズムが幼児期の記憶。ポスト・コロニアリズムが現在の状況。に、各々充当されるのだろう。菊地は、歌舞伎町の韓国人街(外人街)に住む事で、幼児期の記憶と、ポスト・コロニアリズムの現状を「同時」に生活の中に組み込んでいる。と言う事が出来る。こうした「余りに明確すぎる」図式が、意図的な策謀なのか、本能的な嗅覚に寄る物なのかは「菊地自身も解っていないが故に」常に物議をかもすのだと筆者は思っている。

 菊地の作品が、こうした高踏的とも言えるアクロバットを演じながらも、女性や若い男性から熱狂的な支持を受ける理由は、結節点としてのエロチカだろう。一方でフロイト〜ラカン主義的な立場を明言している菊地がエロチカについて、飼育、栽培化された「ちょっとした調味料」(例えば「エロかわいい」「セクシー&ワイルドなファッション」といった意味だ)として扱える訳も無く、菊地が常に発散する、濃密でむせ返る様なエロティシズムは、「堪え難いトラウマとしての性の享楽」を、半ば「諦めるかの様にして」染み出すに任せている印象が有る。体臭のように。菊地のキャッチコピーの様に成っている「官能と憂鬱」を支えている物は、自分の中のセクシュアルな傷に対する、あらゆる「諦め」なのではないだろうか。

 アルバム「野生の思考」と、本公演名である「悲しき熱帯」がレヴィ・ストロースの著作名から召還された物である事は言うまでもない。そして、菊地が思想的な根幹とするフロイトと並び、レヴィ・ストロースの思想は20世紀の後半に於いて、激烈と言って良い批判に晒された後、現在は再評価の動きが出ている。博識で知られる菊地が、この事を知識として諒解しているだろうことは想像に難くない。そして大作「野生の思考」から漂う物は、前述の二元論を超えて行こうとする意思。つまりは傷に対する「諦め」から「積極的な受け入れ」を経て後、更に深く世界に分け入って行こうとする意思である。これは「傷を負わされた被害者」が生き延びる方法として多く採る「傍観者/観察者」としての立場を止め、「当事者」に成り代わる事を意味する。筆者がこのアルバムから感じた物は、定着や浸透ではなく、むしろ覚悟と出発の兆しである。


 これから菊地はどこに向かうのだろうか。その猥雑さと優雅さ、暴力性と分析力、知性と狂気は、どんな作品を生み出すのだろうか。リサイタル「悲しき熱帯」はその第一歩と成るだろう。筆者が抱いている感情は、恐怖心にも似た、美に対する予感である。

※copyright :2006 east works entertainment inc.<無許可転載禁止>


悲しき熱帯 Tristes Tropiques
出演:菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール ゲスト:カヒミ・カリィ

12/11(mon) 18:30開場/19:00開演 
会場:九段会館
info:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(10:00〜19:00))

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