アメリカン・クラーヴェ、リリース開始。今回は止まらない!


そして・・・、キップ・ハンラハン、名盤『クープ・デ・トゥトゥ』を振り返る。
「当時面白かったのは、アートのDNA、Teenage Jesus and the Jerksだった。」

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事実、このアルバムの制作当時、この音楽が、体制側の音楽への重要な一撃となるんじゃないかという雰囲気があった。体制側の音楽というのは産業(金、流通、音楽企業の力とか...)の中にしかありえないなんてことはもちろんわかっていたけれど、なにがしかの一撃をこの音楽がもたらしたとしても一瞬で金のサウンド(音楽)へと必然的に飲み込まれ、編入されしまうのさ(ー事実、その影響は一撃だった。この音楽が制作に関わった連中全員にまたたくまに影響したこと、さらにポップミュージックの中枢にも浸透したことを調べてみてよ)。
誰もが知ってるようにビル・ラズウェルがこの音楽をハービー・ハンコックの『ロック・イット』という金まみれのサウンドに変形するのにそんなに時間はかからなかった。27年たって今、やっと全曲がラブソングだと気がついた。
レコード作り始めたとき24歳だったんだけれど、そのときは性的興奮に支配されていた。音楽やサッカーやるのは女の気を惹くためだけじゃない、世界の、僕らの身体の内と外の両方を支配しているリズムは、女性が通り過ぎるときの鼓動だけじゃないんだ、女性の歩き方の、かすかな揺らぎ・・・目線が創りだすメロディ・・・のリズムにも支配されているんだ。(ラブソングは)夢?あるいは少女の呼吸の速度や深さに注意したり、自分たちの呼吸と比較する方法のことだろうか?(この場合)必要なのは、その速度やリズムを同じ言語として音楽に持ち込むこと、そして重要なのは、本質的に女性の気を惹いたり、恋いこがれさせ、交わりを生み出すような、言語にすること...。思い焦がれるといえば、"No One Gets To Transcend ..."や"sketch from TWO CUBAS"でさえ、恋の引力について唄った曲だ。
このアルバム本質的にセクシュアルだ(下半身の...)。このプロジェクトをはじめた頃、1979年の一月、僕はまだ、JCOA(ジャズ・コンポーザーズ・オーケーストラ)/ニューミュージックディストリビューションサービスで働いていたけれど、レコーディング( "sketch from TWO CUBAS")が終わってすぐアフリカへ出かけた後は、仕事にはもどらなかったと思う。僕の生活にかけたお金がいかにわずかだったか思い出したよ($127で3rd Aveにアパートを借り、家族もなく、飲酒の習慣もなかった...)なんとか生活していた、だけど当時の僕には快適だった。奇妙な前衛映画の仕事、事故でもらった金、ギャングの甥から借りた金、変な工事の仕事とか、なんでもやった。ともかく、セックスに支配されて、将来は輝いていたし、手元に金なんてなかったけれと、何も怖くなかった。多分、当時はもっとスマートだったんだ......。
このプロジェクトは、レコード制作のためにバンドを組織するそういうやり方とは、まったく違う、むしろ批判的な方法でミュージシャンを選んだ。つまり、とてもよく知っているミュージシャンと全く知らないミュージシャン、たくさん音を弾くやつとたった二つの音しか弾けないやつ、楽に仕事できるやつと、いつももめるやつ、といった風にいろんなミュージシャンを混ぜ合わせた。それにすべてのセッションでバンドと人選を変えた。このことも話したことがあると思うんだけれど、実はジェリー・ゴンザレスの最初のアルバムはそういう方法でプロデュースしたかった。だけどセッションの間中ジェリーとそのことで言い争っていたので(ジェリーは彼が一生愛してやまない”ラテン・ジャズ”のレコードを、作りたかっただけなんだ)とうとうジェリーは「俺の言う事を聞き入れて俺のレコードを作ってくれ」と言いだしたんだ。で僕はそうした。
ジョン・ファウスティは、彼こそが、当時、”ラテン”音楽のエンジニアだったし、ジェリーのアルバムを制作していたときにわかったんだけれど、彼ほどパーカッションと声の、アナログ・レコーディングにおける可能性を深く理解し、極上のやり方でアナログ編集できるエンジニアはいないんだ。ブロンクスは、ジェリー、アンディー・ゴンザレスといったミュージシャンたちが、ルネ・ロペスのリーダーシップとともに、(出入港が禁止される以前、キューバ革命以前のキューバ音楽のレコーディングに基づいた)ラテンミュージックのアイデアを、”正しく”、社会的/個人的な言語のーつまり彼等のコミュニティの、あるいは彼等自身を家族と、彼等自身の考えを、くだらないどこにでもある押し付けがましいアメリカ音楽から、分ちー”正しい”サウンドトラック・ミュージックとしてまとめ定義した時代にあった。ジェリー・ゴンザレスが守ってきたんだけど、こうした音楽を正当化するような形式としての”正しい”クラーヴェとそれぞれのドラムの役割/形式というものが、本当にあるんだ。
僕が影響を受けたことといえば、それは、権威的になることなく、いろんなやり方で、この音楽でできることがもっとあるんじゃないかって想像し続けることだった。そういうことが『ヤ・ヨ・メ・クレ』(EWAC 1001)の制作期間のジェリ−と僕の間の緊張感になり、『クープ・デ・トゥトゥ』の制作を支配し続けたアイデアだった。たとえば、左右のハンドドラムの古典的な配置をかえるとどうなるだろうか?クラーヴェを交差するどうだろう?ハンドドラムがリズムをとって、トラップドラムが伝統的なクィントの役割を担えばどうなるだろうか?当時ニューヨークでそんなことやっているやつはほかには誰もいなかったし、後で知ったんだけれど、キューバにもいなかった。

2007年4月4日より発売を開始します。アナログマスターからリマスタリング(SACD/Hybrid盤)、
すべてライナーノート書き下ろし。

<リマスタリング第一回発売分 ¥3.000(税込) >
※2面デジパック+三方背Box仕様/書き下ろしライナーノート含む12〜20Pブックレット付き
EWSAC-1007.jpgキップ・ハンラハン
『クープ・デ・トゥトゥ』 
EWSAC 1007





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ディープ・ルンバ
『ア・カーム・イン・ザ・ファイア・オブ・ダンスィズ』
EWSAC 1030




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ミルトン・カルドナ
『ベンベ』
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<新しいプロジェクト ¥3.000 (税込)>
※紙ジャケットW仕様/計56Pブックレット付き
EWAC1033.jpgピリ・トーマス
『エヴリ・チャイルド・イズ・ボーン・ア・ポエット』
EWAC 1033


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